SSブログ

● 吹田のおじいちゃんのこと [● ひとりごと]

最近株価が上昇しておかしな賑わい。
私も毎日気にしている。

私が証券会社に入ったのは1985年。
毎日店頭に座っていた。
同じように、ほぼ毎日私の前に吹田のおじいちゃんがやってきて
お茶をのんで話をして帰る。
おじいちゃんの息子は野村證券に勤めているらしい。
忙しくておじいちゃんのところに帰ってないことはすぐにわかった。

「野村證券の社章ってなあ、ヘトヘトって書いてあるんやで。忙しいてかなわんらしいわ。」
それが口癖だった。

そんなおじいちゃんが、突然来なくなった。
ある日、おばあちゃんがやってきて、
「おじいさんの調子がようないんねん」
ひとつ200円の桃を5つ買っておじいちゃんの家に行った。
若い私には高額だったことを良く覚えている。

おじいちゃんは短期間にやせ細り、おむつをしてベッドに横たわってた。
布団もかけず、立てかけた脚は細くて皮と骨だけだった。
足をさすっていると、ツーっと涙がながれた。
「来んかったらよかった・・」
そう思った。同時に泣いてる自分をおばあちゃんに見られないように努めた。

その2.3日後、おじいちゃんは亡くなった。
桃はお供えものみたいになったんやと思った。

「あんた、あの時わかっとってやったんやな・・」
数日後おばあちゃんんは私にそう言った。
返事のしようがなかった。

---------------------------------------------------------------

最近の株価上昇とともに、吹田のおじいちゃんのことを良く思い出す。
おじいちゃんの忘れられない言葉も。

「えげつない世の中になったで。親が子を殺したり
子が親殺したり。わしら戦争にも行ったけど・・・」
その後の言葉は、たしか無かった。

あれから30年が経った。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。